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2012年1月16日 (月)

教育をめぐる座談会 (平成22年 第五回 創才セミナーより)

 平成22年(2010) 8月28日、第五回全日本小中学生創才セミナー期間中に、大沼国際セミナーハウスにて行われた「教育をめぐる座談会」の内容を掲載します。

【参加者】  ※肩書はいずれも当時のものです

  広中平祐  (ハーバード大学・京都大学名誉教授、当会名誉顧問)
  細水保宏  (筑波大学附属小学校教諭)
  中垣俊之  (はこだて未来大学教授)
  青田基    (函館アポロ商会社長・ITTO個別指導学院)
  木村雅彦  (函館市教育委員会 教育指導課課長)
  舩矢直子  (当会事務局)

(舩矢)
 今回の教育に関する座談会では、地域の教育のことも絡めながらお話したいので、市教委の木村課長さんと、青田さんもお招きしました。青田さんは教育に熱心に取り組まれ、PTAにも長年関わっていらっしゃるようですが?

(青田)
  はい、十年くらいになります。我が家に子供は五人おりまして、数年前から教育支援業にも関わり、色々な子どもと触れあう機会が割と多いかと思います。その中で特に感じるのは、「勉強はなんでするのかよくわからない」と思ったまま勉強している子供が多く、親としてもしばしば明確に答えられないことです。
 もちろん、答えに正解があるわけではないでしょう。しかし、最近よく言うのは、「自分で何か得意なもの、自分の得意な武器を見つけることが勉強だと思うよ。その武器を社会のために、人さまのために役立てて喜んでもらうことが、生まれて来た使命の一つだと思うから、何か武器を見つけなさい。」ということです。数学、音楽、何でもいいですが、その武器を磨くことの楽しさを、子供たちにどうやったら広く伝えていけるだろうか、と思います。

  もう一つは、家庭の問題です。子供たちの情操が落ち着き、揺れる感情を少しコントロールしながら、自分のやりたい事を進めて行ける環境を作る、ということに、家庭のありかたが非常に深く関わっているのではないかと思います。親子関係、夫婦関係、両方うまくやって子供を育てていきたいというのが私の思いで、それに関していろいろ動き始めているところです。

(広中)
  僕は十五人兄弟だけど、父親は食事を必ず別の部屋でやり、子供と一緒にはしない。母は僕らと一緒にいたけど、教育どころの話ではなくて、「とにかく死ななきゃいい、一人も死なしたくない」とだけ言っていたんですよ。
  だから兄弟で協力しあったような感じで、それで助かったことがあって、僕はどちらかというと勉強が出来る方でしたから、「学校で習ったことが分からない」と言う兄弟に教えるわけです。教えるということが一番いい勉強になるんですよ。自信も出て来るし、教えた後が一番よくわかる。だから僕が一番得したんですよ。そういう点では、兄弟がたくさんいたというのは、非常によかったですね。

(舩矢)
 細水先生は、例えば学校で、子供から「なんで勉強するのかわからない」という疑問をぶつけられるということはないでしょうか。

(細水)
 うちの学校は、みんな喜んで勉強している雰囲気があるんですよ。「附属の子だから」とよく言われますが、実は全教員がそういう方向に向いているからなんです。つまり、「こういう子になって欲しい」という、学校における価値観を統一しておけば、そういう学校を作れるんですね。
 世の中も同じだと思うんですよ。親が「こういう子になって欲しい」という思いを持っていれば、そういう子に育って行くはずなんです。今はその価値観がぐらついている段階です。そこでどうしたらいいかと言えば、まずわが子に対して「お母さん、お父さんは、こういう子になって欲しい」という考えを小さいうちから伝えていくことですよ。例えば、電車の乗り方がよい子を見たら、「お母さんは、あなたにああいう乗り方のできる子になって欲しいわ。」乱暴な子がいたら、「ああいう乗り方は恥ずかしい。」とか。そういうような親の価値観をもっと伝えて行く時期が、本当は小学校低学年とか幼稚園時代に欲しいな、と思いますね。

 昔は民話などで、「正義は勝つ」とか「いいものはいい」と教えていたけれど、今はそのへんがぐらついているから、やはり親の価値観をちゃんと伝えて行く世界が必要なんですね。
 我々教師も、もう少し先生自身が「どんなクラスや学校を作っていくか」と意識しないと。今、学校自体がその役目を問われています。少なくとも、知的好奇心を旺盛にして、「勉強することが好き」という子を育てようとすると、その子は中学高校へ行って伸びるんですね。
 今、「やりたくない!」と言う子がいるでしょ。その子に対して先生は「そういう態度はよくない。とにかく取り組むこと!」と言わなければなりません。

(舩矢)
 子供の「勉強が好き」という気持ちを培うために、特に気を付けていらっしゃることはありますか?

(細水)
 子供がしゃべって来たことに対して、必ず一言受け答えする、ということですね。だめなものはだめ、いいものはいい、「その方向いいんじゃない?」とか。そうすると、いつもしゃべる子、やってみる子になる。
  例えば、こっちの子が字がきれいで、「あ、君字がきれいだね」と言った瞬間に、別の子は消しゴムを持って字を消し出すんです。そこで褒めてあげればよい。「あ、えらい! 自分で字が汚いと思って、消しゴムで消したんだ。そういう子っていいなあ。」だから先生が、「どういう子になって欲しいか」ということさえわかれば、褒めて育てられる。
 でも、逆に「だめなものはだめ」という世界も必要ですが、今それを余り言わないです。「みんな違っていていい」と言い過ぎていて。でもやはり「真理を追究する心」というのは大切にしてあげたいと思う。「やりたくなーい!」という子に何も言わなかったら、そういう子が育って行ってしまう。
 授業としては、「ハラハラ、ドキドキ、ワクワク」の三つを教室の中に取り入れて行くことです。「間違ったらどうしよう」でもいいから、「ハラハラ、ドキドキ、ワクワク」が勉強の基本でしょうか。

(中垣)
 僕が未来大で、普段学生さんを見ていて感じることですが、大学院に入るとか卒業研究という時に、学生さんの小学校からの勉強の、ある種の集大成がそこで成されます。その時に生き生きとして、とてもおもしろいことをやって、創造性を発揮する人と、全然そうじゃなくなる人との違いが、割とはっきりあるんですね。その違いはどこから来るのか。
 それは、「頭がいい」ということとは全く別の何か、素養というものがあると思うんですね。それは「そのことをやっていておもしろい、もうそれだけで生きていてよかった」というような感受性だと思うんです。それが大いに育まれている人というのは、大学の試験を落ちたとか、論文が出ないとか、身分不安定な研究員を五年、十年やっていても、それほど不幸な感じはないし、元気さも失わないんですね。だから、感受性のようなものが、やはり最後のところで物を言うかな、と思っているんです。
 表面には出ないけれども、心の中で自分独自の何か―例えば小数の割り算のように、一応答えは出るけれども何か引っ掛かる、というものを、ずっと溜めて大事にしていた、という人は何かいい感じがするんですよ。だからそういうところを刺激したいな、という風に思うんですね。

 もう一つは、「この勉強は何の役に立つか」ということを余りにもきちんとすることは、必ずしもいいことではないのでは、という気がします。
僕が小学生の子供に「これは何のために勉強するんですか?」と訊かれると、理路整然と答えられるのは、英語くらいなんですよ、コミュニケーションに必要、という意味で。数学や国語は、何となくは言えるんですけれど、僕自身そう思ってはいない、というところがあるんですね。(笑)
 でも、よくわからないけれど、単に社会や理科を勉強する、そういうこと自体もおもしろいですよね。「おもしろい」という気持ちを大事に育み、「よくわからないけど、でも何か役に立つんじゃないか」と思いつつ、その何かを自分で探す、という風に頭も働くし。「なぜやるのか」という研究の動機づけにしても、「おもしろい」という言葉が最初に口に出て欲しいと思う。それだけでは税金を使ってやる理由が立たない、という面があるかもしれませんが。しかし、基盤としての文化、つまり人生観や色々なものに影響を与える、という意味では、やはり意味はあると思うんですけれども。

(舩矢)
 広中先生は、特に子育てする親御さんに心がけて欲しいと思われることはありませんか。

(広中)
 今の親御さんたちは、僕達の頃よりも非常に優れていると思うんですよ。かなり時間を取って子供の相手をしますね。僕等の頃は、きょうだいがたくさんいたから、兄貴に訊いたり、怒られたりで、きょうだいが親を代行していたような感じでした。今は子供の数が少ないということもあって、昔とは違って親が子供のことを見てますよ。
 僕の場合は、母も父も小学校しか行ってないので、自分達に知恵がないと思い込んでいた。それが僕にとって非常に助かったんです。
 今から考えるとトンチンカンでもあるんだけれども、風呂の湯船に手を入れると、手が軽くなりますよね。「なぜ軽くなるんだろう」と母に訊くと、「手のことだったらお医者さんだろう」といって、僕を街のお医者さんのところへ連れて行くんですよ。(笑) 田舎だからお医者さんが忙しくない時もあって、「おもしろい質問じゃないか」と、いろんな話をしてくれる。で、わからないながらも「おもしろい話聞いたな」と思って帰って来る。それから、「幽霊なんてあるんでっかなあ。」と言ったら、「それは一回お寺に訊いて見よう。」(笑) それでお寺に連れて行く。お寺のおばさんも「おー、おもしろいやっちゃ」と話をしてくれるわけです。
 僕の場合は、親が「自分が無知だ、知識がない」、ということをはっきり知っていて、助かったんです。

(青田)
 今はそこらへんが足りないところだ、と私も思っています。学校以外に、ある分野に一生懸命になって取り組んでいる方のいろんな話を聞く機会を、本当はもっと小中学生に与えたらいいと思うんです。例えば、街の中で工場を一生懸命何十年もやっている、技術がすごい、という人の話でもいいです。十人くらい話を聞かせたら、そのうち一人について、「お、この人の話おもしろかった。役に立つかも。真似したい。」と思うことが、もしかしたら「学びたい」という気持ちに変わるのではないだろうか。そういう、子供たちに「本物を見せる」と言いますか、本物の人のところに連れて行って、本物の話を聞かせてみる、という活動をしたいと思っています。

(広中)
 一つ良くなって来ていると僕が思うのは、今子供たちに聞くと、例えば「今日どんなことを習ったの?」と訊く親が多いですね。これは素晴らしいことだと思いますよ。僕等の時代には全然なかったですね。
 その効果が少し出ているのでないかと思うのは、算数オリンピックなのだけど、今の日本の、今日も来ているような子供達のレベルは非常に高いですね。お金がどうということよりも、とにかく学問がおもしろい、という感じでやっていますからね。
ただ、一つ気をつけなければならないのは、これは学校教育で重要だと僕は思うけれども、トップ5%という子供達のための教育の他に、「底上げ」ということもきちんとやらないと。さもないと、社会が非常に暗くなるし、犯罪も増えて来ます。外国の例を見ると、「これくらいの人はもうほっとけ」と切り捨ててしまった地域の子供は犯罪が多いです。だからやはりそれはちゃんとやらなければ。
 だけど、国力というか、かつて日本が廃墟から復興する時の、あの活力は、中堅、中の上下の人達のボリュームですよ。そこはきちんとやっておかないと、国力が低下します。

(細水)
 広中先生のお話にあった、中間層が多いというのは、日本人のすばらしいところで、吸収力がすごいんですよ。誰か発想が豊かな子がいると、自分では発想はできないけれど、その子の発想を真似する子がいるんですよ。
 だから5%の優秀な子が他の子達と一緒になって勉強したら、下の子達が吸収して行くんですよ。それが日本人のよさ。だからみんなで勉強するところがいいのに、下手に能力別学習だけやると、その機会がなくなってしまいます。 だから能力に応じて伸ばしてあげると共に、出来る子を見ながら育つ、という文化も大切にして、「人の発想を真似する力」を育てて行かないと。
 逆に発想豊かな子は突拍子もなく飛び出してしまうけど、「でもね」と立ち止まって考える子がいて、この子もまた素晴らしい。するとまた新しい発想が生まれて来たり、人の発想をもらえたりする。だから、日本人の文化をもっと伸ばして行くといいのかな、と思いますね。

(広中)
 その、文化と教育に関係して、ちょっと心配するのは、少子化の時代に、どういう風に子供達が同年輩から学ぶかということです。子供が同世代から学ぶということは結構大きいんですよ。先生からしか学べないものはあるけれども、先生から学ぶだけではちゃんとした人間にはなれないんです。
 いつも思うんだけど、僕は粘り強さを誰から学んだかというと、ほとんど同年輩の連中から学びましたよ。例えば、兄貴に茶碗でポーンと頭をぶたれて、茶碗が頭で割れて、「どうしてやろうかな、泣いてやろうか」と思ったけど、母から「我慢しなさい! 我慢できないやつはだめだ」と言われて。ジーッと我慢して、便所に入ってワーッと泣いたことがある。(笑) だけど、そういうことで学ぶんですよ。
 我慢できる力というのはすごいことで、外国で差別されても我慢したらいい、と思うから、どこの国へ行っても僕は平気ですよ。「あ、ここは我慢すりゃいいんだな。」 で、我慢ということを教えてくれたのは、先生じゃない。先生もそういうことをおっしゃっていたけれど、子供達がきょうだいや上級生と一緒に遊んで、もまれたりして、我慢するということを学ぶんですよね。ああいうチャンスがたくさんあったわけです。
あの時代を取り返すことはできないけれど、少子化の時代だから、子供達が一緒に会う機会を作ってあげるのが、30年前から僕の念願なんですよ。それで「数理の翼」や「創才セミナー」などを続けているんです。

(木村)
私も小さい頃は、人間関係や公園の中などで学ぶ環境がありましたが、今はなかなかできないです。
 「創才セミナー」や「はこだて国際科学祭」は学びの環境の一つでして、函館市にどんどんそういうものが増え、子供達が興味のあるところに行ける、そういう街にしたいと思っています。今年函館奉行所が復元されましたが、函館は開港当時は優秀な方々が集まった街で、学びの伝統がありますので、その伝統を復活させたいです。
 ただ、目に見える学力も上げなければなりませんので、全国学力学習状況調査も、今の函館の子供の何の力が足りないのか、をきちんと分析しながら、先生方の授業改善を委員会として働きかける取り組みをしています。

(広中)
 学力調査の結果の点数は、僕は今は公表しない方がいいと思う。それは二つ理由があるんです。一つはマスメディアです。マスメディアというものが非常に発達していて、過大評価するから、まともな人間でも翻弄されてしまいます。 
もう一つは、もし数字を出して競争するなら、それから出て来る精神的な問題をサポートする先生も雇うべきです。そうしたら、競争で負けることだってプラスにできる。だけど、負けて放っておく、対応する先生もいない、ではよくない。昔は父親でなかったら母親が、あるいは、お婆さん、おじさんなどがサポートしてくれた。僕の場合は、大変尊敬していたおじさんがかなり助けてくれたけどね。そこまで子供の精神的なサポートをきちっとやる、といいう人がいればいいです。
 僕はもっと教育にお金を使うべきだと思う。金を使わなくてはならない時代になっているんです。
 教師の数を増やすべきだと、僕はいつも思っている。一つの教室に三人ぐらいいてもいいではないかと思うんです。ものすごくできる子を見る人と、落ちこぼれないように助ける先生と、三人ぐらいでやれば一番いいんです。これから日本の国力ということを考えたら、教育にそれぐらいお金を使わないとだめですよ。先進国というのは皆お金を使っているし、先進国になれば、教育にお金を使わなければいかんようになって来るんです。

(青田)
 学校を少人数化するのには、実は私は余り賛成ではないです。三十人でやろうが、五十人でやろうが、それほど変わらないような気がしていて。
 私は実は個別指導の学習塾もやっていて、来た生徒が何かちょっと顔つきが変わっていれば、「あれ、どうした、今日は?」と、いろいろ聞くんです。そうすると、親にも友達にも言えないことを結構話してきて、学校の成績の話にもなって。で、聞いた上で、「わかった。でも、成績が悪かったとしても、別に上と競争しなくてもいいじゃない。自分の目標を決め、そこまできちっとやるための方法を一緒に考えようよ。」と言うと、目の色が少し変わって、「わかった、先生、じゃ僕、ここまで頑張るから。」という話になる。
 多分、昔のお母さん代わり、お父さん代わり、兄貴代わりが今家の中にいないので、頼られて来るでしょうけれど。やはり、話を聞いてあげる人が身近にどれだけいるか、というのが大きいと思います。話すうちに、「では、お前何やりたいの? 何のために頑張っているの?」と訊くと、「いや、目標ない」などと言うので、「わかった。仮の目標でもいいから、目標作りを一緒にやらないか。おまえ、何が得意だ? これだったら頑張れる、というもの、何かないか?」と訊くと「こういうの得意だ」「じゃ、今は仮にそれを頑張る目標と決めようよ。それを大人になって変えても構わんけど、今は今の時点の目標をきちっと決めて頑張ろう。」と言うと、目が少しキラキラッと輝いて。「自分の輝くものが、もしかしたらこれかもしれない」と思った時がうまく行くのかな、と最近思うんです。

(広中)
 やはり、目標を持つということは大切なことでね。例えば、東大に入る、ということを目標にしてもいいんですよ、ないよりはいいんです。「自分は東大に入りたい!」という学生がいれば、「おうよし、勉強しろ」と言えばいいんですよ。で、東大入った頃には、「何でこんな所に入ったんだろう」と思ったりね 。(笑)それでいいんだよ、勉強したんだから。
 指揮者の小澤征爾が入った学校は、ちっぽけな学校だったんです。それでも世界一流の指揮者になりました。最高の音楽学校を出た人で、もちろんちゃんとしてる人はいるけど、小澤さんと比べて明らかに落ちるという指揮者もいるんですよ。

(木村)
 学校に先生が増えると、今おっしゃったように、色々な立場の大人が子供に関われるので、私はそういう意味でも、三十五人学級が成立することが、日本の教育の大きな転換点になるかもしれないと思うんです。
 今の先生方は、私が新卒の頃よりも桁違いによく勉強します。子供の心をつかむための心理学の学習とか、教科指導とか。研修制度もありますし。好きな先生の勉強は頑張る、というのが子供の基本的な思いですからね。

(広中)
 先生方の中に「教師の数を増やせばよくなる」とは言えない、という意見もあるけど、僕は遊んでいる先生がいてもいいんじゃないかと思うんです。
 例えば、コンピューターをやっている人がよく言いますが、働き蜂は皆忙しそうだけど、コンピューターでよく調べてみると、かなりの部分はただ動き回っているだけで (笑)、一部だけが一所懸命やっている。それで、遊んでいるやつを全部除けたらどうなるか、というと、またその何割かが遊び回る。(笑)
 で、やっぱり遊んでいる人もいた方がいいんですよ。教育というのは無駄がない、と思った方がいいですよ。全てが教育になりうるしね。教育というのはものすごく時間がかかることだし。
この中間層のボリュームが、どういう風にそれぞれちゃんと働き甲斐のある仕事に就いて―昔のように無茶苦茶に頑張らなくてもいいけれど、有給休暇もきちんと取って、家庭のことも見て、そして「やっぱり生きていることは素晴らしいことだな」と思う、子供に「生きていることは素晴らしいよ」と伝えられる―そういう親になってくれるのが一番いいんですよ。

(木村)
 夢を自分の言葉で語れる子供を育てるために、自ら自分の失敗談や夢を、子供達に熱い言葉で語る、そういう人間的な触れ合いを、もっともっと学校の中や、色々な場面で作っていく必要があるだろう、と常々思っています。
 ここ十数年は外部から学校の中に非常に入るようになりましたね。例えば、深堀中学校区で、ボランティアの方が組織的に募って、学校に何を支援できるか、という働きをやっていますね。そういう広がりがどんどん出て来るだろうな、というここ数年の動きは感じます。

(青田)
 そういうことをしようとした時に、ではそれは誰が仕切るんだ、マネジメントするんだ、というと、学校の先生方ではもう手一杯なので、正にそういうところにお金をかけてもいいのではないでしょうか。学校の先生方でなく、その地域の人、もしくはそういうことに長けた方を呼んで来て、マネジメントしたり、組織を成り立たせて、地域の力を活かして行く、こういうスタイルを是非作ったらいいのではないか―これは昔で言う、大家族の代わりになるものだという気がします。

(広中)
その、外の方たちとの関係だけ担当する先生もいいじゃない。

(一同) そうですね。

(広中)
 アメリカの大学では、スチュワードシップ・プロフェッサーというのがあって、その人は大学で全然講義しないんです。どういうことかと言うと、ディビニティ・スクールという、牧師を養成する学部の名残があり、えらい先生がいるわけです。そういう人は大学で教えなくていい代わり、外に出て教えるんです。
 その人は外へ出て、「人生とはどんなものか」という話をしたり、人生相談をする。すると、その先生のお陰で、大学に寄付が沢山集まるんですよ。今世の中に、お金を持っているけれど、それをどうしたらいいかわからない、とか、人生に大きな悩みを持っている人もいるから。だから高い給料を出していても、大学もそれでちゃんとプラスになっている、というわけです。
 教育は、五十年の内に返って来る、先行投資ですよ。先進国と比べても、日本は教育予算が少ないです。でも、日本は教育がなければ何ができるんですか。しかも子供の数が減っているなら、もっと子供をちゃんと教育しておかないと困るではないですか。そして、どんな子供でも、ちゃんと育てば社会に貢献できるんです。

 それから、これもちょっと極端な言い方だけど、言っておく必要があると思うのは、日本人の一つの欠点は完璧主義なんですよ。書類など、完璧、完璧でやるでしょ、そんな必要があるか、と思うくらいに。
 僕が山口大学の学長の時に台風が来てね、書類が最上階にあったけど、雨漏りで全部消えちゃったんです。皆で拍手喝采しましたよ。(爆笑) 十年保存しなければならないのが、三年目に全部消えちゃったけど(笑)、それで山口大学がだめになったかと言えば、全然そんなことはないですよ。
 アメリカの話で、日本で通用するかどうか知らないけれど、1980年にペーパー・リダクション・アクト(書類削減法) という法律ができた。政府がそういう法律を作ったために、五年くらいすると、地方でもどんどん書類削減を始めた所があるんです。「同じ情報を違った部署で二度取るな」「あちらで出した情報をこちらで出さなくてよい、あちらで訊いてください」というわけ。経費も少なくなるし、皆喜んでいる。
 また、移民に関する書類などの一番下の方に、「これは弁護士や専門家の力を借りずに、本人だけで5分で書けなかったら、ワシントンに電話してください」と、電話番号まで書いてあるんですよ。それぐらいして、その法律がやっと十年くらい経って普及したわけですよ。
 ちょっと日本は書類が多すぎる。そういうのは無駄です。でも、教育は無駄じゃない。人間対人間の教育というのは無駄じゃない。仮にそれが二流三流の先生であっても、反面教師、というのもあるのだから、人間対人間の教育というのが絶対必要なんですよ。

(舩矢)
 皆さん、貴重なご意見を沢山出していただいて、どうもありがとうございました。やはり教育は、最後に広中先生がおっしゃった「人間対人間」というところがまず何よりも重要で、そこが原点であり、どんな営みもそこに帰結するという感じがします。そして、今回皆さんから出た話から、私たちが地域の中でどのようにそういう教育を実現していくか、ということについて、道筋が少しづつ見えて来ているのでないか、という気もいたします。
 今後とも、私達皆が力を合わせて、若い世代のためにいい教育をできることを心より願っております。

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